えるばブログ

精神的に楽になって生きやすくなった理由を書くブログ

努力してるってだれが決めるの?

日本では努力が美徳の一つとされていますが、この努力ってあいまいだと思います。

 

僕も昔から努力しろ、努力しないと報われないぞと言われてきました。

 

確かにさぼっているときに言われると、もっと頑張らなきゃいけないなと思います。

 

たけど、一般的に美徳とされている努力ってギリギリまで自分を追い込むことを言ってしまっているんじゃないのでしょうか?

 

そこまでやって、くたくたにならないと、努力してると認識されないのか。だったらくたくたのふりしてた方が得じゃないと思ってしまいます。

 

また、人に言われたことで努力しろと言われてもピンとこなくて、やりたいとも思わないし、それって我慢を強いているだけなんじゃないかと思ってしまいます。

 

じゃあ自分にとって良い努力って何でしょうか?

 

そもそも努力とは?

 

努力 
  1. 《名・ス自》
    目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

 

努力って自発的に目標に向かうことだと思います。

 

なので目標がなければそもそも努力とはいいません。

 

努力している状態では、少なくとも目標に向かってアクションを起こしているので、前に進んでいます。

 

もちろんそれが100%目標達成につながるかというとそうではありませんが。

 

後は僕も勘違いをしていて、意外と多くの人が勘違いしているのが、何かを我慢していることを努力と思っていることです。

 

我慢している状態とは、何かに耐え忍んでいますが、アクションが起こっていないので、前には進んでいません。

 

なので、結果に繋がっていかないし、何も変わらない。

 

ごくまれに、周りの状況が勝手に変わって状況が好転するから、自分が耐え忍んできたことが報われて、努力して結果が変わったように感じられるだけだと思います。

 

美徳とされているのは、我慢の方なんじゃないかと思います。

 

みんな我慢しているから、自分も我慢しよう。そしたらいつかは報われると思って。僕はそう思っていましたが、何も変わりませんでした。

 

なら、努力しているといえるのは、どんな時か、量で決まるのか、質が伴わなければいけないのか、自分で評価するものか、他人が認めなければ無駄なのか。

 

 

努力の基準はどこにあるのか

結果が出ないときに、周りから努力しろとか、足りてない。と言われていたんですが、自分でいうのもあれなんですが、見えないところで結果を出すために試行錯誤していました。

 

そのときは、この人のいう努力しろとはなんだろうかと悩みました。単純に結果を急かされているようにも感じましたし。

 

まず基準となるのは、量ですね。スポ根ものだと圧倒的に量をこなしている様子が描かれていて、それが日本人の努力のイメージになっている気がします。

 

やっているほうも数をこなすとやっている感がでるし、外から見ても、やっている感は出ますね。

 

まあ、だからってやみくもにやればいいわけではないと思いますが。

 

ただ、やっぱり量が質に転化していくと思うし、最初から効率求めるのも、それはそれで効率が悪いなと思います。

 

ただ、判断基準として量だけ見るのはどうかと思うし、量のみを基準しちゃうと、ただ持久戦で、体力のある人が勝つ。パワーゲームになっちゃいますね。僕は体力がないのでつぶれます。

 

じゃあ、質なのか

 

質の良い努力ってなんとなくイメージわきにくいです。

 

ただ、黙々とやるんじゃなくて、結果に向かって、考えて行うことで、それが正しければ正しいほど、質が高いんでしょうか。

 

スポーツ選手が科学的に証明されたトレーニングを、適度な量を行うかんじです。

 

結果にコミットしている分、外から見るとやってないじゃんと思われるかもしれないですが、努力は結果のためにやっているし、結果に結びつけば一番いいので、こっちのほうが本来的な意味の努力な気がします。

 

ただ、努力って認定する側の主観に左右されるような気がしてます。

 

でもその人の主観って周りからわかるはずないんですよ。その人が表明しているわけでもないし。

 

それで、その人が例えば上司であれば、自分の理想の努力の形を見せなければ、認められないんです。

 

これってその上司の理想のために我慢しろと言われているような気がするんです。

 

そのために不毛な競争を強いられて、消耗していきます。

 

認められるには、その人の求める努力をしているふりをしないといけない。

 

他方、努力してますアピールはどんな角度から見ても、あまり自分で言うものじゃないし、まわりからみるとちょっとイタイ人に移りがちです。

 

うまく抜け出すためには、その我慢をいかに自分の目標のための努力だということにシフトチェンジして、量をこなし、質の高いものにしていくかなのかもしれません。

 

でもやっぱり努力する

これまで散々書いてきましたが、やっぱり現状を変えたり、目標に向かうには努力が必要だと思います。

 

努力は報われないと思います。

 

それは、努力の仕方が間違っていたり、目標に対する努力が足りなかったりするためです。

 

でも、その目標に対する努力の仕方なんて初めての状態でわかるわけないので、まずは量をこなすしかないです。

 

あとは、努力を過大評価しないこと。努力すれば必ず目標達成するわけじゃないし。

 

ただ量をこなせば、レベルアップするゲームをやっているわけじゃないので。ただ経験値はたまります。(ポケモンの経験値制度ってすごい)

 

そして努力は他人の評価に任せなくていいです。なぜなら、目標がそもそも自分基準なんだから、その目標に対して、自分がやったことがあるのならそれは努力です。

 

他人に努力を認めてほしいと思わない方がいいです。

 

ただ、努力と結果は別です。

 

努力したかどうか評価は自分でしていいと思うけど、結果に対しても自分で責任を負うしかない。

 

ただ、結果が出るのを怖がっていると目標達成が遠ざかると思う。

 

なので、努力には失敗もあるってことを最初から勘定に入れておかなければならないです。失敗も経験値です。

 

努力するのが当たり前になっていると、自分では、普通のつもりでも、周りが勝手に努力家認定してくれるかもしれません。

 

そうなると強いかもですね。

 

そのためにはなんでもいいので目標をもっておくといいです。

 

そのために今自分で出来ないこともやってみる苦労を味わうのは、きついですが、我慢とは違いますね。

 

何事もやらないと動かないです。

 

僕は天才はいると思っているけど、天才たちが苦労せずにいるかと言われればそうではないと思います。

 

彼らは、見えないところでめっちゃ努力していると思うし、それを当たり前にしていると思う。

 

鳥が水面を優雅に泳いでいるようにみえるが、水中では足をばたつかせているみたいに。

 

我慢はせず、他人に判断をゆだねず、自分のための努力を当たり前にしていきたい。